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JMAT東北支援活動報告

日本医師会JMATに応募し、福岡県医師会が担当する福島県いわき市での医療支援活動に参加しました。
私達5名は福岡県チーム第13班で、平成23年4月28日から5月1日までが担当でした。

29日から本格的な支援活動に従事しました。
朝8時に宿舎「やすらぎの丘温泉病院」を出発。
いわき市医師会館に到着後、医師3名、看護師1名、医療事務1名、薬剤師2名(他県より合流)計8名のチームで7つの避難所を巡回します。
JMAT13班チーム

「福岡県の医療支援チームの者です。お変りはありませんか?」と声を掛けてまわりました。
避難所の若い方の多くが昼間は仕事等で外出され、残った方の多くは高齢者でした。
「血圧が高い」「風邪をひいた」などが主でしたが、毎日30名弱の方を診察しました。
いわき市医師会館での報告

その中で、前立腺肥大による頻尿、あるいは過活動膀胱を疑われる高齢男性がおられました。
その方が活動最後の日には「食事が入らない、きつい」と訴えられ入院を希望されました。
そこで、同行の長尾先生の尽力で近くの病院につなげることができました。
「福岡の先生しか信頼できない」と言っておられただけに、医療機関につなげられたことで
一同安堵しました。

もうひと方「51歳の女性だが、毎晩夜中に悲鳴を上げる」との情報。当人は昼間外出しておられ面談することはできませんでしたが、同室者から「津波に飲み込まれて、頭上を船が通過するという非常に怖い目にあっておられてお気の毒」と、同情を交えて話されました。
「心のケアチーム」につなげるよう申し送りをしてきましたが、被災という非日常的な状況下ならではのケースでした。
避難所での診察

巡回の合間に、津波により壊滅的な被害を受けた海岸沿いを視察しました。
コンクリート建ての一部が骨格だけを残して建っており、他は瓦礫と化しています。
小名浜漁港では大きな船が何隻も陸に打ち上げられており、魚市場は骨格だけとなっています。また、近くの広場には壊れた車が山積みされています。
津波被害3


こうした被害状況を目の当たりにして、巨大な津波が押し寄せてくる時の恐怖、波にさらわれて命を落とした2万数千人の方の苦しさを思うと胸が詰まる思いがします。

避難民の方のお話では、震災当初は暖房設備も無い体育館で、厳しい寒さをこらえた上に寝具も無く、水や食料品、衣料品も無い状態で大変だったそうです。
また、医療面でも日ごろ飲んでいた薬が無くなり不安だったとのことでした。
そうした中、いち早く医師会が主体となって医療支援活動が始まりました。
「医師、看護師、薬剤師、ケースワーカーなどが絶え間なく来てくれることで避難所の皆さんには安心感が生まれ混乱が避けられた、見捨てられていないという安心感が何よりでした」
と、木田光一いわき市医師会会長が言っておられました。
こうした事態に安心感を提供することで一役を担った医師会の一員として、本当にありがたい言葉でした。

被災から1ヶ月半が過ぎ、避難所から仕事に、学校に・・と出かけられ日常の一部が戻ってきています。また、最近では住居の抽選に当たった方が順に去って行かれ、避難所も一部閉鎖されたり縮小されつつあります。
確かに現場周りでは笑顔も見られ穏やかな印象を受けました。このような状況下であるにも関わらず、非常に静かで礼節さを保っておられ、東北の方は我慢強い人たちだなと敬服させられました。
日本各地から多くのボランティアも来ているとも聞くし、現地には、助け合いの精神を基盤に、暖かい一体感が漂っているようにも感じられます。この空気が日本中に広がるといい・・と強く思いました。

JMATに参加させていただいて、心が洗われるようでした。たくさんの希望者の中から、参加をお許しくださいました福岡県医師会、他関係の方々に深く感謝申し上げます。ありがとうございました。
                     JMAT福岡県医師会第13班 原村耕治

長尾哲彦先生 梅下慈人先生と一緒に
梅下慈人先生(写真左)長尾哲彦先生(写真右)

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